K i K u s a      A r t  d e  B o t a n i q u e

 
 
 
 
 
 
「  す べ て の 農 業 労 働 を
 
冷 く 透 明 な 解 析 に よ っ て
 
そ の 藍 い ろ の 影 と い っ し ょ に
 
舞 踏 の 範 囲 に ま で 高 め よ  」
 
 
宮 沢 賢 治
  
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 1 - 3 | 田植えした後の風景
 4 | 稲穂が実るヒノヒカリ
 5 | 古代米”赤米”の稲穂は芒(のぎ)が長い
 6 - 8 | 稲刈りと天日干し

 
 
 
 
 
生命の田圃で自然農の米を育む
 
 
 
輝く太陽の陽射しを受け、生命から生命へと渡る風に任せて、
 
草々虫達が溢れる田圃で健やかに育んだ命の禾(いね)。
 
 
稲は植物であり、米は自然の結晶でもある。
 
大きいも小さい米粒も、半分に欠けた米も、
 
虫が吸った後の黒くなった米も、自然世界が豊かな現れ。
 
 
一杯の御飯を前に私たちが手を合わせるとき、
 
二千年も前から受け継ぐ先人たちの知恵と、この豊かな風土があることへの感謝の念が
 
いっそう深く身体を養ってくれる。
 
 
 

 

 
 
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 K i K u s a
 P a r m a n e n t  A g r i c u l t u r e
 
 自 然 田 圃  2 0 2 2 -
 野 の 禾 N O N O - I N E
 
草と虫とともにある生命の田圃で自然農の米を育む
 
 
無農薬・無肥料で土を耕さない不耕機栽培で、安心して食べられる米をつくりたい。
大型機械に頼らずに昔ながらの道具と手作業で、 自然の恵みをそのままにいただく米をつくる。
 
春。種(籾)を蒔き、稲苗を育て、一本ずつ田に植える。
夏。田に水を引き、稲が小さい頃は草を刈り、幾日もして花が咲く。
陽が短くなってくると、実が膨らみ始め、米の穂ができる。
野山が色に染まる秋。実った稲を刈り、天日に干し、脱穀・籾摺り・精米して、ようやく白い米となる。
 
その百八十日前後の間に、光と水と大地のエネルギーと、微生物 や菌、草や虫の豊かな命の営みが、米を育ててくれる。
 
 
 
 
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二〇二二 自然農の米づくり 一年の軌跡
 
 
 
 冬から春 〜 一年の計画・苗床の下準備
 
稲の一生、稲が米になるまでの四季を頭に描き、一年間の作業計画を立てる。
まずは、昔ながらの古い道具を揃える。 足踏み脱穀機、唐箕(とうみ)、篩(ふるい)、手箕(てみ)、筵(むしろ)、籾摺り機、精米機、石抜き機など。
使われなくなった農具を仕入れに各地へ車を走らせる。
 
お米の苗は種から育てるので、必要な品種の種籾を用意する。
主食用の粳米には「ヒノヒカリ」「農林22号」「コシヒカリ」、古代米の餅米は「黒米」と「赤米」を用意。
 
春に種蒔きして苗を育てるためのベッドづくり「苗床の下準備」。
苗床にする所の草を刈り、土の表層を薄く削り平らに整えたら、薄く糠を蒔く。稲藁を綺麗に被せて春を待つ。
 

四月 田圃一面が草原のよう
 
 
 
 春 〜 種下ろし
 
春四月、いよいよお米の種蒔き。種籾から稲苗を育てる苗床を田圃の一角につくる。
苗を育てる苗床には、水を張らない「畑苗代(陸苗代)」と、水を張って育てる「水苗代」がある。どちらもやってみたくなって、両方を作ることに。
 
下準備しておいた苗床にもう一度鍬を入れ平らに整えて、種籾を手に宙から土に振り落とす「種下ろし」。
種籾が1cm間隔に苗床一面に並ぶ姿は、まるで小宇宙のように美しく思わず声に出して見惚れてしまう。
土を被せ固めて、さらに草屑を被せ、毎日に水やりを続けて、芽が出るのを見守る。
 
数日後に緑色の細い芽が出始めたときの感動、生命の誕生はどんな時も喜びのエネルギーに溢れている。
 

五月 畑苗代では芽が出た早苗が日々に成長する
 
 
 
 田植えまでの準備 〜 畝づくり・畦塗り
 
田圃にも米を育てる生命の舞台である畝(うね)をつくる。
スケジュールが遅れて、本来は春までに済ませておきたかったこの農仕事に急ぎ取り掛かる。
 
1.4反ほどある田圃に、巾4mで長さ約60mの畝を6本つくる。耕さない自然農でもこの時ばかりは、スコップを持ち延々と溝穴掘りして土木作業員となる。
(自然農は耕さない農法だから力仕事は少ないのですが、一年目の畝づくりだけは必要。)
 
田に水を張るために畦に泥壁を作る「畦塗り」の準備も同時に進める。
トラクターで耕さない田圃は一面に草だらけ、 鍬や鎌やスコップで地道な手作業で自然農と向き合う。
 
田圃の周りに水を入れて鍬を使い畦塗り。
地下水が田に入る「入水」。田に水が入ることがこんなにも気持ちが高鳴ることを知る。
 

六月 畦塗りの日の忘れられない夕暮れ
 
 
 
 夏 〜 田植え
 
六月末、予定よりも1ヶ月遅れてしまった田植えがようやく始まる。
代掻きもしていない草原のような田圃の草を刈り、水を入れて、育てた早苗を手作業で田に植える。
自然農の田植えは、洪水の跡の草原に穴を開けて苗を定植するようなもので、一本一本の苗を植えるのにとても時間が掛かる。
少しは手伝ってもらいながらも、ほどんど二人での田植え作業に二週間ほども掛かってしまうことに。
 
(田植えが大幅に遅れてしまったため、稲の分げつにも影響が出て収量が減ることも予想されるけれど、とにかく自然の力を信じてみる。)
 
夏の暑さの中、田の水の中に入り稲を植える。その手足から感じる感覚は心地良く、小さな生き物たちの営みが美しく輝いていた。
縄文、弥生と数千年の昔日から続いてきたであろう稲作の記憶が、自分の身体にも眠っていることに気付く。
自然世界と共に暮らしてきた先人たちの生き方が、身の内から蘇るような感覚に、そうだな、そうだよなと、何とも言えない感動が何度となく溢れてきた。
 

七月 田植えを終えた水田の美しさ
 
 
 
 草取りと出穂
 
真夏の八月、田圃に大雨が降り雷鳴が響く。古代人は”雷が稲を孕ませる”と考えていたため、雷光を「稲妻」と呼んだ。
晴天の太陽の陽射しや夏が連れてくる雷雨が、米づくりには欠かせないことを知っていた。
だから豊作を願い米藁でつくる注連縄は、綱は「雲雨」を表し、「稲妻」を模した形の紙の垂れ飾りをつけるのだろう。
 
天地を肥やしに稲は日に日に成長する、と同時に草も成長する。
草を敵にしない自然農でも、稲がまだ小さいうちは草を刈ってあげる。
それでも、草を刈る方が良いか、刈らない方が良いか、稲の様子を見ながら考える。
虫の住処を残すために、一列置きに草を刈る。
鎌を持ち手作業の草刈り、毎日に手を入れて田圃の真ん中まで来た時、最初に刈った所の草がもう伸びている。嗚呼、終わりなき旅。。
 
稲の穂が出始めると、もう田には入らない。稲の花が咲くのは午前中の2時間ほどの間だけ、穂先から順に開花して受粉する。
ここからは水の管理だけ、二ヶ月近くは何もしないで自然の力に任せて稲の実りを待つ。
 

七月下旬 稲の根元が分かれる「分げつ」成長中
 

八月上旬 草を一列置きに刈る
 

八月下旬 赤米が開花して籾ができ始める
 
 
 
 秋 〜 稲刈り・天日干し
 
十月が終わりを迎える頃、田圃は金色に変わり、実った稲穂が頭を垂れている。
いよいよ稲刈りの時期。生命が弾むような収穫の歓びに鎌を持つ手も躍る。
 
手で刈り束ねた稲束を、天日干しする「稲架掛け(はざかけ)」作業。
稲刈りよりも、田圃に杭を打ち込み、天日干しする台を作るのが、なかなかのひと苦労でもある。
稲は太陽の光と自然風でゆっくり乾燥され、残った藁から栄養が米粒に移り、より成熟され旨味の詰まった美味しい米になる。
 

十月 色付き実ったヒノヒカリ
 

稲架掛けで天日干し
 
 
 脱穀・籾摺り・精米から御飯へ
 
年の終わりに向けて他の仕事がいっそう慌ただしい時期になってしまい、脱穀作業をする時間がどうしても作れない。。
仕方なく天日干しが終わった稲藁を、一旦軒下に吊るし保管することにした。
 
年が明けて間もなくして、ようやく脱穀へ。米粒が入った籾を稲藁から外すのが「脱穀」。
ここで使うのを楽しみにしていた木製の古い道具「足踏み脱穀機」と「唐箕」が登場。
使えるように手入れを済ませて脱穀作業を開始。
 
次に、足踏み脱穀機で外した籾を「篩(ふるい)」に掛けて、籾と藁屑に分ける。
さらに「唐箕」を使い、未熟な籾や細かな藁屑を風で飛ばして取り除く。
これらの農具があるだけで作業効率は格段に上がる。シンプルでいて先人の知恵が詰まった美しい道具たちに改めて感謝。
 
これでようやく「稲」が「籾」の状態になる。次は籾の皮を剥ぐ「籾摺り」。
これは電気式だが旧型の小さな籾摺り機を使う。少量ずつ「籾」が「玄米」になっていく。
さらに石抜き機に通して小石を取り除き、最後は人の目と手作業(ピンセット)で不純物を取り除く。
そうしてできた綺麗な「玄米」を、精米機(小型精米機か循環式精米機を使う)に掛ければ、ようやく晴れて「白米」になる。
 
初めてのことだらけの米作り、こんなにも長い長い道のりを経ていただく「一杯のご飯」は、それはもう想像を遥かに超えて輝いていた。
ご飯を食べる事がここまで「ありがたい」「ありがとう」と思ったことはなく、頬を濡らしながら箸を動かし一粒残らず噛みしめたことは想像に難くないだろう。
 
 
 
 そして次への循環 〜 種取り
 
良く実った稲を選び取り、次の年に植える「種籾」として残す。
種はもちろん米粒であり、私たちが毎日にいただくご飯は稲の「種のエネルギー」をいただいている。
一粒の米は数千倍になるほどの力を秘めている。
 
脱穀後に残った稲藁や籾殻は、また田圃にもどす。
田圃で育ったものを再び還すことでエネルギーが循環され、田圃の地力は少なからず維持される。
無肥料で稲を育てるには、土の力を落とさずに地力を保つことが必要で、田圃の生命たち、虫や鳥、微生物や菌、草などの営みの循環が土を豊かにして、植物作物を育て、それが私たちの身体を養ってくれることへと繋がっている。
 
こうした「自然世界の理」に、目を向け、見逃さず、理解する力を、自然農をする中で学んでいけることが大きな歓びである。
 
 
 
 
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